研究内容

これまでの研究概要

アイスランド海岸沿いの流氷:この氷にも既存の技術では培養困難な、そして特異的な微生物が生息している
アイスランド海岸沿いの流氷:この氷にも既存の技術では培養困難な、そして特異的な微生物が生息している

従来の細菌学は、還元論的なアプローチであるコッホの原則に基づき発達してきた。しかし実際は、多くの感染症は複数種の微生物が関わる複合微生物感染症によって引き起こされており、還元論的な手法には限界がある。その発症、慢性化が明らかになっている例はほとんどない。そこで、この課題に対抗すべく微生物生態学的な下記の4つの概念を基軸に研究を進めている。

1)ヒトを含む自然環境中の細菌は培養できないことが当然である

特定の遺伝子を持つ特定の病原細菌の個体数や、その空間的配置(バイオフィルム内なのか浮遊状態なのか)を細胞単位で知ることは、GFPのような遺伝子組み換えの必要な蛍光タンパク質では困難であった。そこで、特定の遺伝子と特定の細菌種を細胞単位で同時に可視化する手法を開発し、自然状態での病原細菌の分布を明らかにした。これにより、環境中における病原遺伝子動態が従来考えられてきた以上に動的である(水平伝搬する)ことを明らかにしてきている。

2)同じ細菌種であっても生息環境によって遺伝子型が異なる

東南アジアを含む世界の種々の環境水から得た、コレラ菌単離株のゲノム情報解析を行っている。その結果、病原性に重要なファージ領域のみならず、これまでの臨床分離株とはゲノム構造の大きく異なる新規性の高い菌株が、環境中には存在していることが明らかとなった。従来の病原細菌の情報は、ほとんどが臨床分離株を対象とした研究により蓄積されてきたことを鑑みると、自然環境に由来する菌株のゲノム情報、遺伝子情報の多様性は限定されていたことが判明してきている。

3)同じ細菌種であっても生理状態によって表現型が大きく異なる

大腸菌やコレラといったヒトに病原性を示す易培養病原種でも、自然環境中から分離培養しようとすると、多くの場合困難である。この知見を基に、ヒト特異的な病原細菌であるA群レンサ球菌において、健常なボランティアにおける本菌の保菌率を調べた。その結果、培養法では3%程度の陽性率であったが(従来の評価報告と同等)、非培養法では98%ものヒトが本菌を保有することを明らかにしてきた。すなわち、従来の細菌学の考えが当てはまらない現象が見つかってきている。

4)種間相互作用が存在し、相互作用は病態により異なる

複数の細菌種が存在することで病原性を発揮する複合感染症である歯周病では、red complexと呼ばれる3種の細菌が必ず見いだされる。しかし、その共存機構は不明であった。また、歯周病に病態が類似しているインプラント周囲炎では、歯周病と細菌群集構造が似ているが、同じ治療が奏功しないことがある。そのため歯周病とインプラント周囲炎を対象として、生息する細菌種の比較ゲノム解析、メタゲノムメタトランスクリプトームによる細菌群集構造解析 (解析新手法の開発を含む)、臨床パラメータ(抗生物質投与の有無、男性女性(=性別の違い)、等)と細菌種との重相関解析を実施した。その結果、red complex細菌種は、種間で競合的な関係性があるだけではなく、代謝経路や病原因子を相補する協力関係があることを明らかにした。さらに、インプラント周囲炎に関しては、1)red complex構成種が必ずしも見出されないこと、2)歯周病とは構成種が異なり、共存・排除関係も異なること、3)細菌同士の相互関係を規定するのが歯周ポケットの深さ(嫌気性度合)の影響であることを見出した。

現在と今後の研究について

1.ワンヘルスに基づく薬剤耐性遺伝子プールとその動態の解明および伝播分断法の開発

特に開発途上国において深刻な問題である薬剤耐性菌の拡大は、耐性遺伝子の水平伝播が要因の一つである。近年、『病原性の発揮を助ける遺伝子多型』を有する菌株が自然環境中に存在し、本変異がゲノム内に蓄積された後に病原遺伝子を獲得すると、菌株が病原性を発揮するという現象が報告された。そこで、耐性遺伝子の水平伝播機構を明らかにすべく、『水平遺伝子伝播機構に関わる遺伝子群を含む抗生物質耐性の発揮に関わる遺伝子多型』が自然環境中の細菌ゲノムに存在するという仮説を立て研究を進めている。現在、比較ゲノム解析から仮説が支持されているため、今後は結核を含む抗酸菌、コレラを含むビブリオ属細菌を用いて実験的に実証、作用機序の解明ともに、本変異の簡易検出キットを開発し、衛生微生物管理に資する薬剤耐性菌出現ホットスポットを探索していく。

2.都市型新興感染症のリスク評価基盤構築

近年、衛生環境の整備された先進国の住環境(浴室)において、開発途上国においては診断技術の問題により認識されていない新たな細菌感染症が発生している。そこで、世界的に着目され始めた非結核性抗酸菌症に着目して、1)メタゲノム解析利用し、住環境における開発途上国の本感染症のリスク評価基盤を構築する。2)『ホームプロバイオティクス』の概念を新たに打ち出し、健康的な“住環境フローラ“の情報蓄積と構築に貢献する。そのために、住環境の細菌を網羅的に単離し、世界初のHome Microbe Collectionを樹立する。

3.衛生微生物学的に健全で、安全・安心な住宅環境・まちづくり

住環境の微生物は一般に、「汚れ」として掃除され、増える前に抑制される対象である。しかし近年、例えば同一の住環境にペットがいる、観葉植物がある、絨毯があるといった要素によって、住環境のバイオエアロゾルに含まれる微生物(浮遊性ウイルス、細菌、真菌、花粉)の多様性が変わり、アレルギーや喘息が減少するという報告がされている。本研究室では、H’OMEと名付けた「微生物多様性」と「エアロゾル病原性微生物の種類と量」に基づく新しい指数を提案、住環境の空気質を評価し、空気中に漂う微生物とうまく付き合うための新しい暮らしやまちづくりを目指している。

*この研究は本学プロジェクト研究センター(https://www.hiroshima-u.ac.jp/prc) の一つ「未来共生建造環境センター(英語名称 Center for Holobiome and Built Environment (CHOBE)」として活動しており、共同研究や協力していただける方を募集しております。

4.参考文献(原著翻訳等)

南米チリ共和国との連携(SATREPS MACH)

現地(チリ)小学校における微生物教育の様子1

2018年から5年間、チリのカウンターパート(加えて、複数省庁と民間団体から構成される)とともにJST/JICAが支援する地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)の代表研究者となり、当国の連携を強めている(https://mge.hiroshima-u.ac.jp/SATREPS_MACH/)。本プログラムでは、熱帯・亜熱帯を含むチリの養殖環境における病原細菌の環境内動態ともに、環境遺伝生態学、細菌学の重要な課題の一つであり、2016年伊勢志摩サミットでも緊急の対策が必要である課題として取り上げられた、抗生物質耐性菌の問題に産官学市民一丸となって対策に取り組んでいる。このSATREPSを通して民間企業と共同開発した“オンサイト実験システム”を用いて、国内外のフィールドでの抗生物質耐性菌、病原菌の自己迅速診断教育と、集約したデータによるこれらの出現予測情報をインターネットで提供予定である。また、同じく企業と共同開発中の高度な実験装置を組み込んだ、マイクロバスサイズの可動式実験システムによるオンサイト微生物高度解析を、現地専門家育成に利用予定である。

現地(チリ)小学校における微生物教育の様子2
現地(チリ)小学校における微生物教育の様子3

現地(チリ)小学校における微生物教育の様子

東南アジアにおける薬剤耐性菌・抗酸菌症の教育研究

現地(インドネシア)大学における新型DNAシーケンサートレーニングの様子
インドネシアの大学における新型DNAシーケンサートレーニングの様子

東南アジアを含む世界的に重要な抗酸菌症のゲノム疫学研究、「病原因子の環境遺伝生態学的研究」を現地の大学と共同で進めている。特に結核患者数が世界2位のインドネシア、スラバヤにあるAirlangga大学においては、オンサイト実験システムを用いた微生物叢解析講義・実習を実施している。

本研究室では東南アジアからも複数学生を受け入れ、共著論文を投稿している。これまでも、欧米のみならずウガンダ、タイ、ベトナム、チリ、ブラジルなどの開発途上国からの研究者や学生を長期受け入れ、日本の博士課程の学生や若手研究者(現在のチリSATREPSではポスドクの方々が年間10ヶ月現地滞在している)を派遣することで、交流する機会を提供してきたが、今後も海外とのつながりを生かして、欧米だけではなく、世界各国から学生、研究者を招聘し、互恵関係を構築したいと考えている。

感染症の予防、治療、対策、撲滅においては、その病原体の生態、個別の遺伝情報、生理、ヒトを含む環境と他の生物体との共同体であることを知ることが必須である。この中には、ヒトの行動、生活習慣といった文化の理解、ヒトと感染症の歴史を常に意識することが必要だと考えている。そのため、現地研究者との連携を密に図ることで、より包括的な学際共同研究・教育を実施し、国境を超えた公衆衛生問題に現場で即戦力となり、リーダーシップを発揮できる人材を育成する。

試料採取場所

自然環境中の微生物動態を知るにあたり、種々の場所から試料を採取している。